物事を決めつけるのは自分のせいなのか他人のせいなのか
今日は思いついてようにブログ2つ目の投稿です。
ランチに行くときにふと自分自身の人格を作ってきたのは周りの環境だよなーと思いました。
私は4月生まれなので、同い年の子よりも話すこともやれることも多く、幼稚園のアルバムではみんなより頭2個分背も高く合成写真のようになっています。
そのため先生からはいつも
「泉帆ちゃんはみんなのお姉ちゃんだね!しっかりしてて偉いね!」
と言われていた記憶があります。
自宅では次女ということも有り、さんざん祖父母や両親に甘えていましたが外に出ると大人の称賛を得るのが快感なおませな女の子になっていました。
小学校に上がってもやっぱり先生からの評価は[みんなのお姉ちゃん、みんなのお母さん的な存在]と言われ、困っている人がいたら助けることが当たり前。
本を読むことが好きだった小学校低学年のときには”蜘蛛の糸”の絵本を読んで、虫を殺すことも出来ない優しい人間へと育っていきました。
そんな幼少期の周りの大人からの評価・レッテルが今の自分の人格の根源に有るなーと感じたわけです。
ずっと褒められることに慣れてきたので、
・怒られること
・批判されること
・嫌われること
が大の苦手ですぐに人の顔色を読みます。
それが良いか悪いかと言われると、今の自分には足かせだなーと。
何かを判断するときの基準が「人の意見」になってしまうのがネックです。
かといってプライベートになると自分が本当に気を許している仲間にはズバズバ自分のいいたいことをいうのでかなりの内弁慶で外面はめっちゃ良いですw
結論的には幼い頃の自分への評価って人格を形成する上で何かしら影響しているんだなーという話。
きっと成長する過程で交友の場も広がって自分にとって居心地のいい場所・人を見つけていき人格を固定化していく。
でもいつかどこかで壁にぶつかったとき、人からの評価でもなく自分の気付きや思い描く自分像により理想の自分に近づけていくのかなーと。
そして、私は今その壁にぶち当たっております。
やりたいことを楽しく仕事にするためにまずは自分自身の甘いところや、大事な局面で一歩下がってしまう癖を直して自分の思い描く自分になろうと奮闘中です!!
今日も読んでください、ありがとうございました(・∀・)